周鳳儀
周鳳儀
1861 - 1896年
本名:周鳳儀(しゅうほうぎ)紹興出身。周樹人(魯迅)、周作人、周建人の父。字は伯宜。本名は鳳儀。中国では周伯宜の名での資料が多い。周鳳儀は、紹興で12代続く伝統的な家に生まれた。父周福清は、1867年郷試に合格して29歳で官僚になった。その父と母孫氏の間には一女一男が産まれ、周鳳儀は跡取りとして期待されていた。しかし母が若くして病死してしまい、継母や妾が産んだ妹と弟がいた。
1880年冬、20歳の時、紹興安橋出身の役人魯希曾の三女魯瑞と結婚した。魯瑞は伝統的な家で育ったため学識がなかったが開明的な性格だった。翌1881年には長男周樹人が誕生し、その後、周作人、周建人など三人の男子に恵まれた。
周鳳儀は、ヨーロッパ近代文明を取り入れる「洋務運動」に理解を示していたが、30歳過ぎても郷試に合格できず役人にはなれないままだった。1893年秋、父周福清が母の喪に服すため紹興に帰っていた間、周鳳儀が受験した郷試の不正に関わり逮捕された。このため、周伯宜は郷試を受けるための秀才の資格を剥奪された。
同年冬、周伯宜は失意の中体調を悪くした。父周福清が入獄されたため、生活も困窮した。周樹人は、この時周鳳儀の薬を買うために足繁く質屋に通っている。その後周伯宜の病状は悪化し、1896年肝硬変により逝去した。