朱安
朱安
1878 - 1947年
本名:朱安(しゅあん)紹興出身。周樹人(魯迅)の最初の妻。朱安は、紹興の伝統的な家で育った。気品はあるが、纏足で、あまり字が読めなかった。1901年、周樹人の母・魯瑞は朱安を気に入り、周樹人の同意を得ぬまま二人の結婚を決定した。この時期、周樹人は南京で勉学中で、朱安とは一度も会ったことはなかった。さらに周樹人は日本に留学することになり、朱安を落胆させた。1906年、魯瑞は遂に周樹人に対して自分が病気だと偽り一時帰国させ、そのまま28歳の朱安との結婚式を挙げさせた。
1909年、周樹人は帰国後に杭州や紹興の中学校の教師となり、1912年、北京に移り教育部の事務官に就いた。1919年、魯瑞や義弟の周建人の家族と一緒に魯迅がいる北京に移住。1923年、魯迅が義弟の周作人と不和になり、朱安は魯迅に従って北京の新宅に引っ越した。1926年、魯迅が3.18事件で指名手配され避難生活を始めた。その後、魯迅は朱安を北京に残して廈門に逃れた。1927年から魯迅は広州で許広平と同居を始め、その年上海に移住。1929年には許広平が魯迅の第一子となる周海嬰を出産したが、朱安は年老いた姑・魯瑞と共に北京で生活した。1936年、魯迅が病没した後、朱安は許広平に生計を支えられたが、他からの支援を受けなかった。1947年、朱安は孤独の中で逝去した。